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Café de EAS ゆうきくみこさん

当団体の活動にご協力・ご支援くださり、ご活躍されている素敵なゲストとの対談コーナー。
毎回素敵な方をご紹介していきます。

港区議会議員 ゆうきくみこ × EAS代表 斉藤砂絵

07年4月に行われた港区区議会議員選挙で見事トップ当選を果たしたゆうきくみこさん。
EASのチャリティコンサート等、当団体にも多大なる協力をしてくださっています。
港区生まれ、港区育ち。港区を愛するからこそ立候補をされたという、区民の為に尽力を尽くされている注目の若き女性議員です。
その姿は、長い手足にスレンダーな長身、ピンと伸びた背筋に爽やかな笑顔。
ゆうきさんを一目見た人は、直感で「モデルさん?!」と思われるでしょう。
実は、大学を卒業後モデルも経験されています。
モデル業に、アパレル業界7年というご経歴のゆうきさんですが、アパレル業界から区議会議員へと転身され、区政のお仕事をされるきっかけはなんだったのでしょうか。まずはそのあたりからゆうきさんの素顔に迫って行きたいと思います。

モデルから議員へ

―モデル業界から立候補に至るまでの経緯をお話いただけますか?

実は昔からずっと背が高いということにコンプレックスを抱きながら過ごしてきました。一時は引きこもりになったことも。でも、落ち込んでばかりもいられないので長身を活かすことを考え始めた大学卒業の頃、ふとしたきっかけで23歳からモデルへの道を歩みはじめました。
長くはできないけれども、今、その時にしかできないモデル業は、とても刺激的で魅力的でした。それと同時に、長い目で見た時の自分を成長させるためにも区議会議員だった母の選挙を手伝ったり、その縁で色々な勉強会に参加していたんです。その頃は母にも秘密にしていましたが、立候補することも視野に入れながら、区政行政のお勉強は少しずつ進めていました。

留学を経験して

それ以前のお話になりますが、私は4年弱ワシントンDCの大学に留学しました。
ちょうどその頃世の中はWindows‘95が出始めた頃。
私も大学では情報処理・ネットワーキングを専攻していたのですが、これが合わないな、と感じていて。何というか・・・パソコンの前にずっといるのが向かないようで。
やっぱり人と関わるのが好きなんですね。
パソコンとの対話は結局長くは続きませんでした。(笑)
アメリカで過ごす日々の中で “日本の素晴らしさ”を改めて実感し、留学中友人との会話の中でも、私を前に“日本人って・・・”という表現やディスカッションも多く、改めて「自分の国」を強く意識しました. 『世界から見た日本のポジション』について考えるようになったのもその頃からです。
日本にいると海外に憧れを抱きますが、海外に出て日本の良さを痛感し、日本を変えたい!
生まれ育った港区をもっと良くしたい!と思い始めました。
ワシントンDCは政治関係や行政に携わる人が多く、日本からも企業派遣や交換留学で勉強に来ている人が多くいましたね、今に繋がるご縁もその時のものも多いです。そういう意味で、偶然ではありましたが、環境に恵まれていたと思います。

帰国してしばらく食品輸入会社やアパレル業界を経て母のアシスタントにつき、30歳という節目を目前に、“これからの人生をどう生きるか”“なりたい自分”について考え見つめなおした時、イメージする自分に近づく為にも、自分が生まれ育った地域の役に立てるようになりたいと思って、ちょうど30歳の時にある選挙に賭けてみようと思い、選挙に挑みました。

自民党って

―そうですか。当選されて数ヶ月が経ちましたが、議員になられて今いる自民党はどうですか?

意外に柔軟ですね。古い慣習が強く残る保守的なイメージを持たれがちですが、若手の意見もちゃんと聞いてくれます。新しい舟漕ぎ手の一人として成長していきたいですね。

急速に変化する港区

―ところで、私も港区に住んで3年になりますが、その短い間にも次々にマンションが建ち、景色が変わり、急激な人口増加を感じています。特に芝浦・港南地区は一棟当たりの世帯数も多いようですね。色々な意味で「スピードの速い港区」をゆうきさんはどう見ていらっしゃいますか?

そうです、人口は着実に増加しています。
それに加え港区は毎年約2,000人の赤ちゃんが生まれています。
区内‘札の辻’に暫定的に保育施設を開設するなど対応に追われる日々です。
ですから核家族化が進み、地域の交流が殆ど無く、防犯や防災の面からみても課題が多いのですね。
今の日本は、そして港区は地域の交流が必要です。
若い母親や子供たちが地域のお年寄りと交流することで、よりよい社会が築ける!と確信を持って「地域をつなぐ」ことに力を注いでいます。

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