ホーム > インタビュー > バックナンバー Vol.07

Café de EAS 中島章博さん

スペクタクルに慣れた現代人に合わせて

中島:そうです。迫力のある曲を間近で演奏するのはとてもいいと思うんです。何が出てくるか分からない意外性は刺激だと思うし、人が“いいな”と思ったり、元気になったり…感性って元気な人も入院している人も変わらないでしょう。
音楽の選曲、使い道、今の人間の感覚を考えてね。スペクタクルなものに慣れている現代人には、意外性や「ドカン!」と心に響くエネルギーが詰まったものを、「これ聴いてくれ!」って思うものを選んで演奏しているし、その方が心に届くような気がしますね。
斎藤:場に合っているものであればクラシックが面白くない、とは思わないでしょうね。
クラシック=モーツァルトと思っている小学生や一部の大人もいるでしょうが、子供たちの心に届く刺激的でワクワクする曲によって、子供とクラシックの距離がもっと縮まると思います。勿論子供だけでなく大人も一緒ですね。
中島:そう、人間の感情って豊かで豊富だな、というのを感覚的にでも掴んでもらいたい、子どもたちに感じて欲しいです。音を通じて希薄になった現代のコミュニケーションを改善したいという思いもあります。人と人のふれあいの楽しさ。それに加え、子供の教育に関してもう一つ言いたいのは、一つのものを複数の人間で作り出すことの面白さ。一人じゃできないことがあり、皆が集まるとこんなに面白いことが出来るんだ、ということを伝えたいから学校訪問もしたいですね。
斎藤:一人で奏する時と皆で合わせる時の目の輝きは明らかに違うように感じます。ピアノのお稽古に行くのが音楽と思ってしまう子供たちに、稽古や耳だけでなく、体感する音楽を体験させたいですね。是非やりましょう!

海外の音楽を聴いて・・・

中島:海外のマスターコースに初めて行った時、 チェコの地方オケだったのですが音楽って技術だけじゃない!と強く感じた出来事がありました。勿論、技術がある程度なければいい演奏はできないと思いますが、ある程度まで。そのチェコのオケは音があまり奇麗じゃないんです。ただチェコの作曲家・ドヴォルザークとスメタナを演奏する時だけ豹変するんですよ。“なんじゃこの演奏は?!”と驚きましたね。お国ものだから土着的というか、この人たちにしか出せない音だと感じましたね。日本人は平均的な技術的レベルは高いと思いますが、音楽的に面白くない演奏をする人が結構いるように感じる。それは、ひとつにはたぶん間違えてはいけない教育を受けているから。でも世の中って間違えをしない人間はいないし、なんで音楽も間違えちゃいけないのかと。サッカーも見ていて思いますが、日本人はちゃんとしたシュート環境にないとシュートを打たないですよね。日本の教育とリンクしていて、根本の考え方が違うんですよ。それに日本で言う「平等」というのは実は「不平等」、人間は同じ人は一人もいない。だから「出る杭は引っこ抜け」ってね。それは海外で音楽を聴いて感じたことですね。
斎藤:では逆に日本的な感覚でよかったな、ということはどんなことですか?
中島:それは、一つのことをニュートラルに見る事ができること。例えば、ドイツ人はフランス音楽をニュートラルに聴けないんですよ。ドイツ音楽があり、ドイツ語を話しているから。フランス人が考えたフランス音楽を理解するのは難しいと思う。でも日本は東洋だから西洋音楽は先入観なく「西洋音楽」として見ることができる。それって西洋じゃない人の特権だと思いますね。フランスもイタリアもドイツもイギリスも同じ距離で見ることが出来るでしょう?
人は比較する時自分の物差しを使って比較しますよね。例えば音楽でいうとフォルテが存在しなければピアノは定義できない。音楽はコントラストが大切ですが、西洋の社会はYesかNo、0か1かの世界でその間のグラデーションはないことが多い。でも日本はその間のグラデーションがある。これは日本のもっているいい感覚で、日本は0と1の間に0.5だとか0.8だとかが作り出せるんですよ、それは日本人ならでは。
つまり、肯定しているのに物事を否定もできるし、否定しているのに肯定することもできる。西洋人から見ればハッキリしないだけかもしれないけど、明かに繊細な感覚を持ち得ている。つまり西洋人がもっている0と1の物差しよりもずっと小さい物差しをもっていて、小さく切ってはかれる。間を認識しているってことは、物事をよりセンシティブに表現でき受取るポテンシャルを持っているということで、それは素晴らしい日本人の能力だと僕は思う。

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