
当団体の活動にご協力・ご支援くださり、ご活躍されている素敵なゲストとの対談コーナー。
毎回素敵な方をご紹介していきます。

今回は、初の外国人ゲスト。スペイン・コルドバ出身のベニート・ガルシア氏をお迎えしております。
東京都でフラメンコスタジオを開講する一方で、数々のボランティア活動に献身的に取組まれているフラメンコ・バイラオールです。本日は教室へ伺ってインタビューして参りました。スペイン大好き、副代表・杉山がお届けします。
杉山:今日は日本語が通じないのでは?!と不安に駆られ、学生時代に習得した片言のスペイン語が今でも通じるものか、と挑戦の意を込めて参りましたが・・・予想とは一転、日本語がとてもお上手ですね。(ホッ)
ガルシア:(笑)日本に来て随分と経ちますからね。
杉山:さて、今日はたっぷりお話を伺いたいと思っています。
フラメンコは日本でも世代を問わず女性に人気のある舞踊ですが、まずは、踊り始められたきっかけからお話頂けますか?
ガルシア:7歳の頃の話です。友人がフラメンコを踊っているのを見て母がよく褒めていたんです。それにヤキモチを焼いたのがきっかけなんですよ。その後すぐにフラメンコの学校を探し、母に内緒で通いました。
3か月後、母を招待して地元のコンクールに初出場し、優勝しました。母はとても驚き、心から喜んでくれました。その瞬間「あぁ、私にはこうして人を喜ばせることができるんだ、もっと能力を高めればもっと多くの人を喜ばせることができるはず!」と思ったんです。そしてその気持ちは今もずっと心に持ち続けています。
杉山:「お母様に見せたい、大切な人を喜ばせたい。」そんな家族への温かい思いがベニートさんの原動力となったんですね。どんなご家庭でお育ちになったのですか?
ガルシア:父は本当に厳しい人です。7歳でフラメンコを始めたとき、とても父には言えませんでした。当時のスペインは‘フラメンコ=おかま’というイメージが強かったからです。最近ではスペインを代表する男性舞踊家ホアキン・コルテス(Joaquin Cortes)氏の活躍が国内外で高く評価されていることで、世間のイメージもだいぶ変わりましたけれど。父にはフラメンコを続けることを随分と反対されました。しかし熱心に続けた練習の成果を様々な場所で見せた後は理解を示し、また応援してくれるようになりました。気が付くと父は一番のファンになってくれていました。私が踊る所にはどこへでも見に来てくれたほどです。私という人間を作ったのは、父ですね。
杉山:とても尊敬されていらっしゃるんですね。また、お父様の家族を想う温かさや懐の深さを感じます。ではお母様はどのような方ですか?スペインにいらっしゃるのでしょうか。
ガルシア:はい。1年に1度は日本にも来ますし、DVDなども送っているので頻繁に交流がありますよ。私の踊りを見せると、涙を溜めて見てくれます。母はとても素敵な人です。父の発言や行いに対して、常に敬意を払っています。
杉山:素晴らしいですね。ところで、7歳から始めプロへと進むガルシア・フラメンコ道ですがどのように稽古されてきたのですか。
ガルシア:最初はフラメンコスタジオへ通いました。その後アートの専門学校にも併せて通いました。
杉山:そこではどのようなことを習うのですか。
ガルシア:フラメンコ以外にも演技や音楽、スペイン民族舞踊の歴史など8年間通える所です。
杉山:それは、日本でいう小中学校のようなものでしょうか?
ガルシア:いえ、小中学校とは全く違います。アート学校なので、アーティストになる人間を育てる場所で、普通の学校とは別に通う所です。
杉山:長く稽古を続けてこられて、「プロ」を意識され始めたのはいつですか?
ガルシア:私の目標はソロライブではなく、憧れていた人たちと同じ舞台に立つ事、つまり舞踊団で踊ることでした。だから「プロ」意識を持って舞台に立つようになったのは舞踊団に入ったときです。でも自分のことだけではなく、何よりも家族や周りがハッピーであることに意味を感じていたので、必死にアルバイトもして家計も支えました。舞踊コンクールに出場する自分なりの意義もそこにあるかもしれません。コンクールで賞を取れば家族が喜ぶ。家族が喜べばやっぱり自分も嬉しい。幸せは喜びがつながって起こるものだと知りました。